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2011-02-09 14:00
テーマ:住職の身近にあるものあれこれ

筆・墨・硯・紙を「文房四宝」または「文房至宝」などといい、昔から貴重なものとして取り扱われてきました。その中から筆についてのあれこれをご紹介します。

<筆の起源>

fude.gif 殷(いん)時代(前1500〜前1200頃)に、甲骨文字の中に聿(筆)をみることにより筆の存在が明らかになっています。また、楚の国の時代(前790〜前220)の墓中から長沙筆(ちょうさひつ)とよばれる長さ20cm、木製軸で穂・兎毛の筆が発見されています。しかし、獣毛を使った現在の筆の原形を始めて作ったのは、秦(しん)時代(前221〜前206の蒙恬(もうてん)将軍といわれており、『史記』八十八には、「始めて筆を作り、枯木を以って管となし、鹿毛を柱とし、羊毛を被とす。之を蒼毫という。」とあります。筆祖説は、蒙恬が竹製の筆を作り改良し始皇帝に献上したことによって伝えられたようです。また、筆は楚の国では「聿」、呉では「不律」、燕では「拂」、秦では、「筆」とそれぞれ違った名前で呼ばれていましたが、始皇帝が天下統一をした際、筆の呼び名を秦が使用していた「筆」に統一されました。

<和筆の歴史>

日本に筆が伝えられたのは6世紀頃です。中国から日本に渡来した現存する最古の筆は、正倉院蔵の御物の天平筆(てんぴょうひつ)で、光明皇后の発願により聖武天皇の冥福を祈るために天平勝宝8年から天平宝字2年(756〜758)に東大寺盧舎那仏に献納されたものです。奈良時代には仏教伝来によって写経が広く行われるようになり、朝廷は写経司を設け、多くの写経生を擁してその任にあたらせていたようです。文武天皇大宝元年(701)の『大宝律令』によると、中務省図書寮内に「造紙手4人、造筆手10人、造墨手4人」を置いたと記されてあり、中央で写経用に筆が作られていたことがわかります。平安時代初期になると、空海が唐から帰朝(大同元年806)し、多くの写経などと同時に製筆の技法を伝えました。そして大和国高市郡今井の人「坂井名清川」に筆を作らせ、時の嵯峨天皇と皇太子に奉献しました。その後、大衆の間でも筆が使われるようになり、筆生により用途に応じた多様な筆が作られるようになりました。ちなみに空海が伝授した筆は芯毛の腰を麻紙のような紙でしっかり巻いて固め、芯に薄く衣毛を被せて作る巻筆といわれる筆です。江戸元禄期になると、細井光沢(ほそいこうたく)が毫毛・弱毛を混ぜ合せて糊で固める水筆(筆の穂部分を全部水で洗える筆)を完成しました。また糊で固めないでそのまま散毛にしたものは捌(さばき)筆とよばれています。その後、書道の興隆とともに書風、書法に合う筆豪(穂)の材質、形、大きさ、筆管の違いなど、数々の改良がなされ現在の毛筆に至っています。

<変わり筆各種>

藁(わら)筆 連筆
藁(わら)筆

連 筆
白鳥(穂)筆 孔雀(穂)筆
白鳥(穂)筆

孔雀(穂)筆
蒔絵装飾筆 陶器製(清水焼)装飾軸筆
蒔絵装飾筆 陶器製(清水焼)装飾軸筆

2011-02-09 14:00
テーマ:住職の身近にあるものあれこれ

絵ろうそく

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電気のなかった時代、ろうそくは明かりとして利用された。また、その一方で、神社・仏閣・仏壇の 「灯り」 「燈明」として現在も使われている。
ろうそくの灯りは、神様・仏様の手元を照らす 「あかり」 であるとともに、邪悪な物・心を燃やし清浄な環境をつくる役目も担っている。

ろうそくの表面に花の絵や模様などを描いた絵ろうそくは、かつて花の少ない冬に、花の代わりとして仏壇に灯された。

絵ろうそくのはじまりは、享保年間にさかのぼる。会津藩は、参勤交代の際に様々な絵ろうそくを江戸に献上していた。将軍、綱吉に「気の利いた」絵ろうそくを求められた家老は、"難を転じて福となす" をかけて「南天と福寿草」の絵ろうそくを献上した。多くの難題を抱え、病気がちだった綱吉は、大変に喜びこれが 「会津ろうそく」 のはじまりとも言われている。

資料提供:松本商店


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